・一切無用論。
・”人知、人為は一切が無用である”
・人間というものは、何一つ知っているのではない、ものには何一つ価値があるのではない、どういうことをやったとしても、それは無益である、無駄である、徒労である
・普通行われている農業技術を一つ一つ否定していく。一つ一つ削っていって、本当にやらなきゃいけないものは、どれだけか、という方向でやっていけば、百姓も楽になるだろう
・結局、田を鋤く必要はなかったんだ、と。堆肥をやる必要も、化学肥料をやる必要も、農薬をやる必要もなかったんだ
・自然に土が肥えるような方法さえ知っておけば
・「放任」ということと、「自然」ということを、ごっちゃにしていたんです
・自然というものがわかれば、人間の知恵なんて必要ないんです。
どうも、Yutaです!
もう10年ほど前になりますでしょうか。
確か私が大学3回生(経済学部生でした)だった頃、農業についての本が無性に読みたくなった事がありました。
自身の理想である無農薬での農業を題材としたものを探していましたが、そんな時にこの本と出会いました。
(この福岡正信氏は自然農の世界ではパイオニア的存在で、この本もかなり有名だった事を後日知りました。)
農業の技術だけでなく、哲学的な内容も多かったのですが、私は特にその哲学に惹かれました。
今まで自分の中でモヤモヤしていたものが晴れたような、そんな気分にさせてくれました。
確かに、自然は偉大です。
ポンプやモーターや、電気や電子回路など無くても人間には血液が循環し、体が動き、物事を考えることができます。
同様に、人間が何の手を加えなくても川は流れ、山の植物は元気に育っています。
人間が便利さや安心を求めて手を加えてしまう事で、自然の絶妙なバランスが崩れ、その弊害を補うためにまた手を加える。そして忙しくなり、忙しくしていないと焦燥感に苛まれ、不安になり、また自然に手を加える。
もしかして今の我々は、本来の人間のあるべき姿を見失っているのではないか。。
このブログを書くことで、当時の私が感銘を受けた福岡正信氏の思想を思い起こすことができましたが、今の自分の環境では「自然をもっと尊重しながら生きる」ということがなかなか実践できそうもありません。
そんなことをしたら競争に負けてしまいそうです。自分だけ取り残されて、余計に苦しい人生を強いられてしまいそうな気がするんです。
「競争」は決して悪いことではないと思っています。
むしろ、そういったマインドは人生に刺激を与え、より輝かしい未来へと自身を導いてくれるものだと思っています。
では、「”自然との協調”を前提とした競争」に価値を見出す社会になれば、もっと住みやすい社会になるのだろうか。
正解は誰にもわからないのかもしれませんが、色々と考えさせられます。
とにかく、ご興味がある方は是非この本を読んでみてください〜!!
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