塩梅ライフ 第三章の幕開け!

どうも、Yutaです!!

私、大変興奮しております。

落ち着こうとしても、ついつい口元が緩んでしまいます。

それくらい、嬉しいニュース!!

 

これは、塩梅ライフ 第三章の幕開けを記事にしたものである。

何があった!?

仕事を辞めて、海外へパーマカルチャーの修行に出て、帰国してから丸3年。

その3年間、ずーっと住みたいと思っていた土地に、遂に住むことが出来たのです!!

そりゃもう、嬉しくて嬉しくて。

 

『塩梅ライフ』のこれまでと、これから

第零章

YutaAkaneがこの世に生を受けた時に第零章の幕が明けたと定義する。

すると、第零章の終わりは、YutaAkaneが仕事を辞めるまでであろう。

 

以前にもこのブログで書いたことがあったと思うが、Yutaが小学校2年生の頃の出来事。

田舎にあった父の実家。

神戸に住んでいた私は、年に数回ほど父の実家へ連れて行ってもらっていたのですが、そこは私にとっては楽園でした。

父が子供の頃と比べたら全然数は減っているとの事でしたが、それでも昆虫や魚などたくさんの生き物を捕まえる事ができたのです。

お気に入りの遊びは、田んぼと田んぼの間にある手掘りの水路で、網をガサガサ。

ひと掬いで、ドジョウ、タイコウチ、ミズカマキリ、コオイムシ、トノサマガエル、フナ等々

楽しすぎて何時間でも遊べました。

出典:WWFジャパン

 

それが、小学校2年生の頃のある日

いつものように網で水路を掬ってみると、

何も捕れないじゃありませんか!!!

 

驚いて祖父に聞いてみると、「農薬使ったら全部死んだ。大きいフナがお腹を上に向けて浮いとったわ。」と。。

出典:JUSTICEリーダーのブログ 

これを聞いて、本当にショックでした。

祖父に思いっきり八つ当たりしたのを覚えています。

 

もともと、生き物が減ってきているこのご時世を憂いていたのですが、この日を境に、私は今までよりも強烈に「自然を護りたい」「農薬を使わない農家になりたい」と思うようになったのです。

 

Akaneはと言うと、小学生の頃から「温暖化問題」をキッカケに地球環境に興味を持ちはじめ、名著中の名著 レイチェル・カーソンの『沈黙の春』を読んで、近年の人類の生活に危機感を覚えていたそうです。


そんな2人は、それぞれに中学校→高校→大学へと進学。

Yutaは、その過程でちょこちょこと両親へ「農家になりたい」と伝えていたものの、その都度「生活が成り立たない」と一蹴されていました。

それで結局、医療に興味があったので、大学卒業後は地元の医療系メーカーに就職したわけでございます。

もう、めちゃくちゃフツーの人生。笑

部活に打ち込んだり、もう嫌と言うほど勉強をした事もありましたが、もっともっと色んな事に挑戦し、人生を揺さぶられるような経験をするべきだったな〜と思います。

でも、これまでの人生があったから今の自分があるわけで、全ての過去には意味があったと思っています。

人生に無駄なし」と、僕が尊敬する方がおっしゃっていたのですが、本当にその通りだな〜と感じています。

あ、あと、両親から農家への道を反対された事については、僕自身に自信と覚悟がなかっただけの話。

あの時、もしも僕に自信があれば、「誰がなんと言おうと、俺は農家になる!絶対何とかしてみせる!」と言えたと思います。

全ては自分次第なのです。

 

就職してからは、営業部門に配属となり、病院へ通う毎日。

人の役に立ちたい」「お金を貰っているんだから、しっかり働かないといけない」という思いから、頭の中のほとんどが仕事。。

充実感がありながらも、モヤモヤしている自分がいて、その時の記事がコチラ。笑

2016年9月、塩梅ライフのいっちばん最初の記事!!

会社員時代は、良くも悪くも色んな事があったけど、なかなかに濃い9年間でした。

この時の「経験」や「人との繋がり」は、本当に貴重な僕の財産です!

 

そんな会社を、どのようにして辞めるに至ったのか。

その時の事を綴った記事が、コチラになります。

とにかく私は、この9年間にAkaneと結婚し、長女のMEI、次女のKAOが生まれ、30歳の時に退職を決断したのでした。

 

第一章

仕事を辞めた私達。

仕事を辞める前に、「自分達はどんな人生を歩みたいのか」、大きく言えば「どんな世の中だったら幸せに暮らせるのか」(大げさですが…)を、夫婦で何度も何度も話し合って考え、ビジョンを固めていきました。

そこで見えてきたのが、このブログのタイトルにもなっている「塩梅ライフ」という生き方でした。

 

そして、自分たちの夢を実現するためには、「知識」と「場所」が必要でした。

その両方を得るための挑戦が、第一章!

海外へ修行に行った8ヶ月間の物語。

なぜ海外に行く必要があったのか。

それは、下記の記事に詳しく記載しています。

 

大きな目的はこの2つ。

「知識」という面では、「パーマカルチャーを学ぶこと」。

「場所」という面では、「海外移住地を探すこと」。

 

これらの目的のために、家族でいろんな場所へ行ってきました!!

ホントに沢山の刺激を受けた、一生忘れられない8ヶ月となりました。

そして、結果的に、海外移住はせずに、「敢えて日本で挑戦しよう!」という結論に至り、日本に帰国したわけです。

 

第二章

たった8ヶ月の第一章を終えて、帰国した私達。

早速次なる大きなアクションを起こしました。

それは、故郷の神戸から、高知県の山奥への移住!!!

これが、第二章の始まり!

 

実は、海外渡航前に、「もしも日本で移住するならココにしよう」と決めていた家があったのです。

なので、帰国後に1週間程実家に滞在したのちに、すぐその家へと引っ越しました。

その時の記事が、コチラ!

面白いので(僕的には)、是非読んでみてください!

 

そして、この家は後に、「はじまりの家」と名付けられることになります。

細かい説明は記事に譲るとして、この名前を付けた大きな理由は以下2つ。

  • 産業革命前の、資本主義が主流になる前の、時間にもお金にも追われない、人間の原点(はじまり)がある家
  • 私たち家族が挑戦をはじめる家

 

 

そして、住み始めてすぐ。

ビビるほど寒いし、暖房器具も無いし、薪も無いし、過酷ながらも楽しすぎる暮らしをしていたのですが、

Akaneから、

Akane
Akane

子供が友達と気軽に遊べる環境で子育てしたいけど、『はじまりの家』はポツンと一軒家すぎる。

との意見が。

で、長女MEIが小学校に入学するまでの間(高知に移住したのが1月なので、猶予は2ヶ月!)に、急遽家探し。

 

そして、ココに移住して来ることになったキッカケを与えてくれた、『笹のいえ』の渡貫一家が住んでいる土佐町で探してみようと言うことになったんです。

 

ちなみに、高知県の山奥への移住のキッカケはコチラでございます。

 

で!!!

渡貫さんに家のことを相談したら、「ここに行ってみたら?」と言われ、その場所へ。
*この時は、不動産会社だと思いこんでいましたが、ここは教育関係のNPO法人であったことを後日知りました。笑

2018/2/5。

不動産会社かなと思って、ドアをガラリと開けると、長身イケメンの方が、

「どちら様ですか?」と爽やかに一言。

で、軽く自己紹介をして、家を探している事をお伝えすると、

「ピッタリの良いところがあるよ〜。今、時間ある??」との事。

で、なんとなんと、すぐにその場所へ連れて行ってくれたのです!!

車を運転することわずか3分。

グイグイと細い山道を登り始めます。

私Yuta的には、この孤立感が超良い感じ!

そして、トータル15分ほどで到着したのがココ!!!

早明浦ダムを見下ろせる、絶景の集落!!
*もっとキレイな角度があるのですが、この時はこれしか写真を撮っておらず。

そして、この集落で以前サクランボを栽培していた家が空き家になっているというのです!

この時点では、特に家を貸してもらえるという話も無かったし、敷地内にさえ足も踏み入れていなかったのですが、

遠くからパッとみた感じでは、自分達の理想通りの家

ほどよい距離感でご近所さんもいるので、『はじまりの家』のような孤立感もありません。

この時、『はじまりの家』は文明の利器を使わない暮らしをコンセプトにしよう。

そして、この家は、文明の利器を取り入れながらも、環境に配慮した持続可能な暮らしをコンセプトにしようと思い付いたのです。

 

とにかく気に入ったので、「絶対この家に住む!!」と決意を固め(何の根拠も無いので、なかなかのギャンブルですが。。)、とりあえず同じ土佐町内の、「移住促進住宅」に入居したのでした。

この「移住促進住宅」は、3年期限のアパート。

その3年の間に、移住者はここに仮住まいをしながら町内で住居を探すことができます。

 

あの家にどうやったら住めるのかを色々考えていると、「役場で仕事をしてみないか?」というお誘いが。

私は全く仕事をする気はなかったのですが、「Akaneから背中を押された」「教育系の仕事だったので、興味があった」「移住促進住宅にいてもやる事が無い」という3つの理由から、話をお受けする事に。

 

そして、4月から約1年振りに仕事をすることになったのです!!

初めての転職!笑

 

で、働き始めてからチャンスはすぐに訪れました。

同僚の方に、「あの家に住みたいんですよね〜」とか話していると、それを町長さん(人口4000人の町は、町長との距離感がめちゃくちゃ近い!!)に伝えたりしてくれて、徐々に、いや、すぐに話は広まりました。
*自分から発信することは、とても大切だと身に染みて感じました!

そして、その家がある集落の地区長さん、町長さん、もちろんこの家を紹介してくれた長身イケメンさん等々、色んな方が動いてくれて、僕らがこの家に住めるという話を取り付けてくださったのです!!

もう、あまりにも思い通りの流れすぎて驚きましたが、この時はめちゃくちゃ何度も小さくガッツポーズをしました。笑

 

で、話を煮詰めていくと、公費で家の増築・改修をしてから、この家をお借り出来るという事に。

「さっそく引っ越しか〜!」とウキウキして待っていましたが、行政手続きの遅れなのか何なのか。

時は流れに流れ、結局ほぼほぼ3年間、移住促進住宅で仮住まい。。

 

かなり早い段階で、あの家に引っ越せるという目処がついていたので、この3年間は結構苦痛でした。

時々は『はじまりの家』に行ったりもしていましたが、

薪で煮炊きをし、沢の水を飲み、家の前で植物を育てる。

何かが欲しけりゃ、自然から手に入る物で作る。

そんな暮らしが、ずっとお預け状態だったんです。

 

でもまぁ、これは過去のこと。

しかも、この3年間が悪いことばかりでは全くありませんでした。

わずか1年でしたが、役場で働かせてもらったことで、普段知り合う機会の無い方と知り合えました。

移住促進住宅がある地域の方々とも、知り合えました

あの家でどんな事をするのか、色々考える時間もありました。

 

第零章でご紹介した、「人生に無駄なし」とは、まさにこの事ですね!!

 

そんなこんなで、遂に念願の地へ引越しです!!

2020/12/26の事でした。

引越し作業は、土佐町で知り合った仲間が手伝ってくれました。

本当にありがたい!

 

と、言うことで、いよいよ新たな拠点での暮らしがスタート!!

人と自然が調和する、我が家なりの『塩梅ライフ』をこの地で実現したいと思います。

遂に、塩梅ライフ 第三章の幕開けだーーーーー!!!!!!!

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